2013年05月
お気に入りの朝
大好きなユリの花と
お気に入りのポストカード
ポストカードは 高砂淳二 さんの作品
素敵な作品こちらもどうぞ!
http://blog.livedoor.jp/sanakubo/archives/20745382.html
梅雨入りした東京は今日も雨かしら?
いい気分になるように
今日も丁寧に
sanakubo目黒にて初夏スタイル探し♪

いつも自分らしいスタイルを見つけるのが上手

初夏のスタイルは爽やかですね

アルドリッチのカーディガンは蒸したり、暑くなるこれからの季節に最適です

キャミソールやタンクトップ、ノースリーブワンピースなど、どんなに暑くったって、腕だけは見せたくないとき、威力を発揮します

きっと毎日のお助けアイテムになりますね

大好評!
定番丸カーディガン☆

何色がいいかなぁ~

スタイルもいろいろな着こなしがたのしめますよ




アルドリッチのカーディガンは長年の定番品だけあってそのバランス、カラーの発色性の良さ、さらっとした素材感、どこをとってもピカイチです

そうそう、カーゴパンツやデニムとの相性も抜群

お気に入りのキャミソール、タンクトップを引き立てますよ

サイズも38 7号から11号弱 40 9号強から13号弱 あり、素材感の心地良い伸縮性もあるため安心して着ていただけます




アルドリッチ カーディガン J13C0801
定価:12800円 消費税価格 13440円
サイズ 38/40
素材 アセテート77% ナイロン 23%
カラー サックスグレー
イエロー
レッド
黒
ベージュ
白
ブルー
納期
現物
イエローとレッドは現物完売
在庫の確認が必要です
毎年持っていないカラーを買い足す方もいらっしゃるほどの人気商品。
一番の要因は毛玉になりにくい特質
汗ばむ季節、取り扱いしやすいし、長持ちする上質な質感は何と言っても嬉しい限りです

そして、体にピタッとはりつかず、どんな方でも優しくフィットする独特な素材感
今ならイエローとレッド以外は即納可能ですが、その他のカラーやサイズも品切れの可能性がございます。
あらかじめ御了承くださいませ



程よく体に沿う質感がうれしいですよね


キャサリンハーネル
キラキラボタンのクラッシュシャツ

前立てのフリルのバランス
襟にはワイヤー入りで開きの変化を変えられるし、
クラッシュ加工で着心地もいいし、アイロンいらずで取扱いもとっても楽

袖のカフスは3個のキラキラボタンが付いていて
折って短め袖に変化させてもOK

ボタンを開けて、キャミソールやタンクトップに合わせれば暑い季節の羽織りにもなりますね


ダイヤモンドボタン白シャツ&
ストライプシャツ
白 MS-437BL2012F
価格14900円消費税込価格15645円
サイズは
36 7号 残りわずか!
38 9号 完売
40 11号 完売

バックスタイルもかっこよく見えます。
サイズがもう36しかございません
どうぞお早めに





税込9345円
配色が綺麗ですね

サイズは36、37
お問い合わせはお早めに

奥伊予にて楽しい大試着会
奥伊予にて大試着会
久しぶりの友人に会えて、とても楽しかった
Fさんとは保育園から高校までおんなじ幼馴染み
昨日は片っぱしからいろんなスタイルを楽しんでもらいました。
お互いに疲れてきて、ナチュラルハイに
同じアイテムのカラー違いで オレンジレンジャー&ブラックレンジャーっです
高校が同級のMちゃんとはクラスが違ったので当時は知り合い程度
FBで再開して同じオヤジ気質をもち、意気投合
パンツルックもワンピースも素敵でしょ
いいね! よろしくお願いします
楽しい時間はあっという間に過ぎて、もう故郷とさようなら
またの再会を心から楽しみにしています
Mちゃんごめんなさい
足元切るのわすれた~
目黒に戻って、自宅共有スペースでは
30日、31日開催。
お土産話つきですよ!
どうぞいらっしゃるときには久保あてに
個人的なメールにてご予約してくださいませ
髪の健康 ヘナを母に塗ってもらう

母が取り寄せているヘナは ヘナの苗をインドのソジャット地区で育てることから始められている方のもの
天然で純粋
そして母のもとには おばあちゃん達 が集まってくる

みんな集まってきては 自分のヘナ で白髪染め
面倒な白髪染めも楽しいイベントになっているようだ
十数年前からボランティアのように行っている母の周りは艶々髪おばちゃん、おばあちゃんの笑顔が絶えない
そして1か月に1度は高知県にも通う
そして 瀬戸内の島 にも遠征に行ったとか

髪の悩みは エイジレス世代には切っても切れない
なんだか これからのコミュニティーづくり のヒントがあるなぁ とぼんやりずっと思っていた

昨日は母に頼んでヘナを塗ってもらう
いつもは自分で いいかげんな感じに まだらな感じに塗っている



②髪が痛んでいたら卵投入
③そして水を混ざり具合を見ながらカップ1くらい入れて混ぜる

④この味噌くらいの固さになったら白髪の根本に塗ってもOK
一か月以内に染めれば少量でこの固さのヘナを根本に塗るだけで もOK

たいがい 私はこのパターン



⑦根本を1CMずつ分けながら丁寧に縫っていきます



⑧全体に丁寧に濡れたらラップして、タオルで巻いて 銀色アフロ帽子をかぶって完成




⑨銀色アフロのままで約1時間待ちます
その間、頭はポカポカと温かい
毛穴の汚れや老廃物がどんどん出ていきます

髪は顔へとつながっている、強いパーマ液やヘアカラーは体にとっていいはずがないと私は思っている
母から教わったヘナを使い始めて、自分の痛んだ髪のひどさを思い知った
そして1時間後こんなに艶々の天使の輪ができました

ヘナのこともアーユルヴェーダのことも全く無知なまま、今回帰省した折にインドに農場やサロンまで開設された
I さんにお会いした。
私はそのコミュニティーの創り方に興味があるだけで申し訳ないと伝えながら、上品で物静かな I 社長はもともとはアパレルでインドでパシュミナなどを生産管理され、ヘナに出会い魅了されたらしい。
話を伺うほどにこんな静かな方のどこにそんなエネルギーが導きだされているのか!
母を通しての 縁 を大事にして 少し勉強してみようと考えています。
まず修行だぁ

ヘナ も ピンキリだと I 社長はおしゃられていた。
良質なヘナに興味がある方はどうぞ 久保 あてにお問い合わせくださいませ

奥伊予限界集落を超えて無人の集落へ
私が生まれ、中学生まで暮らした
’大茅地区’は愛媛県と高知県の県境あたりですが
限界集落を超えて誰もすまない地区になってしまいました
(画面右下は昔中学まで住んでいた家)
小学校まで10KM
2KMの獣道!を徒歩&バス通学
中学校はまでは12KMの自転車通学
朝50分 帰りは1時間30分はかかったと記憶しています
部活して真っ暗で自分の足音(坂道過ぎて自転車にのれない)
に怯えながら帰ったのもいい思い出です
昔近所の子どもで集まってボール遊びした場所
当時記憶が確かなら7世帯15人の子どもが住んでいた
いまは廃墟ばかりです
あるのは お墓 と 僅かな田んぼ だけ






誰も住んでいない地区にも町内放送が決まった時間に響きわたります。
農作業されておられる方のために、かな

野生の動物たちにここは人間の住む場所だと誇示するために、かな

養蜂箱は春のお勤め終了(菜の花)で秋の出番待ち
家の近くに流れている小川 水量も減り、当時はこんな川ではなかったなぁ

ここでよく川遊びした 岩の下を探って ムツゴ や ハヤ を手づかみした

この川奥の穴の中を秘密基地にして弟とおもちゃを持ち込んで遊んだ
おそらくこの穴の中にはおもちゃや何やらお絵かきした紙切れが残っているにちがいない
入ってみようか衝動に駆られたが、そもそもどうやってこの穴まで登って行ったのだろう

子どものころはきっとスパイダーマンだった






通学路にはお堂があってよく柱鬼をして休憩した
柱の四隅にくっついて、中央は鬼 柱につかまっているうちはセーフだけれども、捕まったら鬼交代。
低学年のうちはずっと鬼だった

このお堂は何百年も前から、ここを通行する方にお茶を振る舞い、情報交換の場となった
実は 龍馬脱藩の道 もこのお近くできっとこんな お堂 で休憩し、情報交換したのかな?
お堂にはこんな資料が残されていた



懐かしい三滝祭り
今でも八ツ鹿踊りは五穀豊穣を祈願して奉納されている
なにかお祭りごとやイベント時には婦人部が客人を接待する文化も残っている
でも、この希少な文化継承もいつまで続くか考えると、ここの写真に掲載されている知り合いのおばちゃんたちが元気なうちだけなのかなぁと考える
お堂にこう記されていた
高い山から集落を眺めると、多くの傾き苔むした廃屋がみられるが、あれも、これも、みんなその時代時代を賢明に生き抜いた祖先が、汗して築いた家だと思うと胸が痛んでならない。
こうして、多くの人々が去って行き、大風の吹き去った後のように、寂しくなった故郷だが、残ったものたちは力を合わせ、心を通わせて、この地に生涯を捧げる決意だ
平成12年 8月 T・S
私の故郷のように 日本国じゅう こんな風景があることでしょう
私を自立心旺盛な人に育て、みんなで見守り、そして今でもなお、どんな時でも温かく迎えてくれる故郷に心から感謝しています

右の看板は 亡き父 が溶接して作った看板
ここから上にはもう誰も住んでいないと思った中学の同級生は入り口がわからず引き返したよ!
と父に言ったら 作ってくれた
左の看板は町が(市)が共通に作ったもの
傾いて、草に覆われ、道もすごいことになってました

そして何十年もすれば誰も知らない山になるのでしょう

奥伊予 喜久子さんがつくる 縁故米
私は お米 を買ったことがない
そして、私が食べる 米 はもう植えられていました
斜面を利用した 棚田 はこの辺鄙な土地でも本当にすくなくなり(田んぼを作る農家の減少)もともとは田んぼだった土地には木が植えられ山になり、あるいは荒れている
一つ年下の弟が小学校に上がり、私が小学校を卒業するまで、私たち姉弟は一枚づつこの棚田をあてがわれ、学年が上がるたびにまたさらに一枚づつ棚田を増やされて、自分が食べる米は自分で育て収穫するように農作業を手伝わされた
手植えし、夏の暑い時期には草取り、日照りには溝掃除、雨降りには水はけをよくした
収穫はノコギリ釜で稲刈りし、天日干し、脱穀まで
そしてそうした面倒でいちいち大変な作業の手抜きをすると収穫時に差が出るのです。
もちろん農作業は大嫌いで嫌で嫌でたまりませんでしたが、
その5年間に’生活することの術’を体得できたような気がしています
そして今日は本当に何十年ぶりに田んぼまで来てみた
母は膝が痛いと平坦な道ではヨタヨタしてるのに、この細い畦道ではスタスタと歩く
おっかなびっくりついていくのに目が回りそう
今日は晴れ続きなので水見にきていい具合の水加減になるように調節します
下手の川近くのレトロな缶
を開けると水調整のバルブがあって調整して水が勢いよく水田に広がります。
そして田んぼづくりには野生動物との戦いでもあります
小さな穴が無数にありますが その奥にはモグラが
そして
どうも昨夜はイノシシもこの頑強なトタンの柵と戦ったみたいです
思いがけず大きな蛇にも遭遇
蛇は田を荒らすモグラをやっつけるらしいですが、その場面には遭遇したくない
そういった 輩 とは文明の利器で戦います
風に勢いよくカラカラ回る風車は左官で器用ないとこの手作り
このカラカラいう音をモグラが嫌います
そして車のホイールとカンカンの脅しの音も風に響いて、イノシシやハクビシンは ビビり ます
そしてそして姪のリホちゃんとのツーショットは5年ぐらい前から行う記念撮影ですが、今年はかなりくたびれている
彼女の命名で おっさんくさいので ジョージと名付けられました
ジョージは確かにくたびれていますが、秋には抜群の仕事をします
天日干しの稲をカラスや鳥から守るのです
sanakubo サナクボでは
喜久子さんの縁故米を本当に縁のある方にお分けする方法を思案しています
この米は本当に手植えられ そして天日干し
特に天日干しする米なんて本当に珍しいでしょう。
安全で安心で愛情いっぱいの米が出来上がるのが楽しみです
奥伊予のごちそう 皿鉢料理
奥伊予の実家花盛り^^
松山 DOLCE VITA 婦人服セレクトショップ 訪問
松山は今在家 高速インターチェンジ近くにある DOLCE VITE
すてきなショップに本当にびっくりしました


専業主婦だったお母様が十数年前に突然洋服屋をはじめ、つい最近お嬢様も運営に参加し始められたそうです
縁あって東京でお会いし、帰省した折に立ち寄ることを決めておりました
初めてお伺いしたショップは吹き抜けの高い天井、さわやかな風が通り抜けるそれはそれは素敵な空間でお洋服も嬉しそうでした

親子2世代にわたってエイジレスな洋服がここでゆっくり選べるなんてうらやましいかぎりです



昨日は東京の展示会でお会いした
エムズスタイルの晩夏、初秋ものサンプルと初夏物の商品を見ていただきました。
おふたりとも真剣に吟味して来シーズンの組み立てを検討中
そして来シーズンのひとつの基本スタイルが決まりました

秋になるのが楽しみですね


〒791-1106
愛媛県松山市今在家1丁目11-7
TEL/FAX 089-905-1344
松山 道後温泉にて湯ったり
松山 七味 至福のひと時

連れてこられなかったら、この暖簾はくぐらなかった
至福の時でした
今年最高の ご飯 に任命です

真ん中
中トロ
その左から時計回りに
サヨリ イカ マゴチ アジ
いずれも瀬戸内で取れた新鮮絶品


塩タタキ
高知の須崎の朝採れタタキもすごいと思いましたが
これまた格別

初めての体験にただただ幸せ


鯨
クジラの刺身
初めての体験
鳥肌立ちました。
グリンピースに怒られてもいい

食文化ってありますよね。
でもこのお刺身はここでしか食べられないかも



こんなアナゴ食べたことが
ない
山葵が品よく効いて最高


鱧
ハモ
絶品

もともと鱧は瀬戸内で
漁獲されるそう
京都で恭しく上品に少量いただいた かなりお値段お高めの鱧に比べて100倍 美味しかっ
た


一目惚れです
一番最初に勤めたのはアパレル系の輸出入関係のお仕事だったそう
早稲田、慶応 等々名だたる同期入社の方と働いて、高卒の自分はいずれこの同僚たちに顎で使われるようになるだろうと4年で気づいたらしい
当時高度経済成長の真っただ中
ドンドン給料が上がっていく商社からいきなり職人にって
ふつうだったら、なかなか思えないと想像する
何か手に職と考えて、親族など縁あった 食 の道に進まれたらしい
もしその時、住 関係に縁があれば
もともと手先が器用だったので大工になっていたかもとおっしゃられていた
そしてたくさんの店で働いてその店の良さを身に着けていかれたらしい
余談ですがいつも円満退職などなく
いつも喧嘩して辞めたそう

それはそうでしょう!
センスのいい腕利きの料理職人をどこの店だって 手放したくはない
でも自分らしく生きていたからこそ出来たことだと心底思います
そしてこれからの時代
そういう考え方が出来る人だけが幸せになれるのではないかと思いました

帰省するたびオヤジさんに会いに通います

以下の記事は店にあったものです

