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私が生まれ、中学生まで暮らした
’大茅地区’は愛媛県と高知県の県境あたりですが
限界集落を超えて誰もすまない地区になってしまいました
(画面右下は昔中学まで住んでいた家)
小学校まで10KM
2KMの獣道!を徒歩&バス通学
中学校はまでは12KMの自転車通学
朝50分 帰りは1時間30分はかかったと記憶しています
部活して真っ暗で自分の足音(坂道過ぎて自転車にのれない
に怯えながら帰ったのもいい思い出です
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昔近所の子どもで集まってボール遊びした場所
当時記憶が確かなら7世帯15人の子どもが住んでいた
いまは廃墟ばかりです
あるのは お墓 と 僅かな田んぼ だけ



P1060946P1060919主のいないそれぞれの家のあたりには野生化した花が迎えてくれました
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誰も住んでいない地区にも町内放送が決まった時間に響きわたります。
農作業されておられる方のために、かな
野生の動物たちにここは人間の住む場所だと誇示するために、かな
養蜂箱は春のお勤め終了(菜の花)で秋の出番待ち
家の近くに流れている小川  水量も減り、当時はこんな川ではなかったなぁ
ここでよく川遊びした 岩の下を探って ムツゴ や ハヤ を手づかみした
この川奥の穴の中を秘密基地にして弟とおもちゃを持ち込んで遊んだ
おそらくこの穴の中にはおもちゃや何やらお絵かきした紙切れが残っているにちがいない
入ってみようか衝動に駆られたが、そもそもどうやってこの穴まで登って行ったのだろう
子どものころはきっとスパイダーマンだった


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通学路にはお堂があってよく柱鬼をして休憩した
柱の四隅にくっついて、中央は鬼 柱につかまっているうちはセーフだけれども、捕まったら鬼交代。
低学年のうちはずっと鬼だった

このお堂は何百年も前から、ここを通行する方にお茶を振る舞い、情報交換の場となった
実は 龍馬脱藩の道 もこのお近くできっとこんな お堂 で休憩し、情報交換したのかな?

お堂にはこんな資料が残されていた
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懐かしい三滝祭り

今でも八ツ鹿踊りは五穀豊穣を祈願して奉納されている
なにかお祭りごとやイベント時には婦人部が客人を接待する文化も残っている
でも、この希少な文化継承もいつまで続くか考えると、ここの写真に掲載されている知り合いのおばちゃんたちが元気なうちだけなのかなぁと考える

お堂にこう記されていた

高い山から集落を眺めると、多くの傾き苔むした廃屋がみられるが、あれも、これも、みんなその時代時代を賢明に生き抜いた祖先が、汗して築いた家だと思うと胸が痛んでならない。
こうして、多くの人々が去って行き、大風の吹き去った後のように、寂しくなった故郷だが、残ったものたちは力を合わせ、心を通わせて、この地に生涯を捧げる決意だ      
平成12年 8月 T・S

私の故郷のように 日本国じゅう こんな風景があることでしょう
私を自立心旺盛な人に育て、みんなで見守り、そして今でもなお、どんな時でも温かく迎えてくれる故郷に心から感謝しています

右の看板は 亡き父 が溶接して作った看板
ここから上にはもう誰も住んでいないと思った中学の同級生は入り口がわからず引き返したよ!
と父に言ったら 作ってくれた
左の看板は町が(市)が共通に作ったもの
傾いて、草に覆われ、道もすごいことになってました
そして何十年もすれば誰も知らない山になるのでしょう
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